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2013.05.27

継承されるヒルトン東京

1963年6月にオープンしたヒルトン東京は、コンラッド・ニコルソン・ヒルトンが日本でオープンしたヒルトンブランドの最初のホテルであった。

開業時の東京ヒルトンの設計を指揮したのは、ヒルトン・ホテルズ・インターナショナルの設計主任、エマニュエル・グラン。彼は機能に即した合理的な設計を重視し、同時にその土地や歴史に根差したデザイン、すなわち「世界に向かって主張する新しい日本」を表現しようとしていた。世界の中の日本が彼のテーマであった。当時の日本の建築、デザイン界を代表する日本人デザイナーがデザインチームに加わった。「日本の歴史と文化」をデザインチームは細かく読み解くことで、伝統的な和のデザインを現代建築の中に表現するという、一つの完成形を極めたのである。そしてホテルデザインの傑作といわれるホテルが完成した。半世紀を経てもこのもう現存しないホテルのデザインは新鮮さを失わず語りかけてくる。

ヒルトン東京の客室改修はこのデザインの精神を継承すべきだと考えた。新しい機能やサービスを受けいれつつも、表現されるべきデザインは当初のヒルトンのデザインコンセプトを発展したもののである。

全面改装された新しい4ポイントバスタイプの客室は引き戸や障子を開け放つと伝統的な日本座敷のように開放的な繋がった一体空間になる様になっている。

全体のデザインを通しているのは和室の床の間のような左右非対象の美学である。それは茶の湯の千利休が好んだ数寄の精神の表現でもある。

窓の襖と障子は日本で半世紀前にオープンしたヒルトン東京から引き継がれている日本らしい演出である。障子を通した柔らかな光は谷崎潤一郎の“陰影礼賛”に書かれているような独特な日本的な光の空間を感じさせる。

床のカーペットのデザインは日本独特の文字である仮名文字の流れるような筆のイメージを抽象的にデザイン化したものである。この毛筆の流れのイメージは家具の主材の木目柄にも反映されている。

桐材の網代組みで仕上げられたベッドのヘッドボードは、日本の茶室の天井等で用いられる柔らかな光りの変化を楽しむ古来よりある仕上げ材である。

ミニバーの扉の漆をイメージした仕上げの色は日本の伝統色の濃紫色(こきいろ)と葡萄鼠(ぶどうねず)の2色を使っている。